ひさしぶり

 湖池屋・超厚オー!チップス ステーキソース味。
 通常のポテトチップスに比べて約3倍の厚さらしいです。網目カットなので、ジャガイモの量としては2倍くらいでしょうか。とはいえ3倍というくらいの噛み応えはあります。売りにしている食べ応えは、内容量80g分相応だと思うのですが。
 ステーキソース味、口の中がやや荒れているので、ちょっと沁みます。ステーキソースの味かどうか、いわゆる味の再現がされているかどうかは、塩味とかコンソメ味みたいにそのものの味が確立しているものでなければ語る意味がないと思っています。しかし味の特徴を上手く表現できるといいなぁ。
 うーん、焼いた醤油味とでも言うんですかね、醤油味+香ばしさって感じです。口の中が荒れてなくてもやや濃く感じるかな。プリングルスの濃さに比べると日本人の口に合うと思いますが、うーん、この時点で食べ終わってしまったのでこれ以上広げられません。後味はあんまり良くないかな。飲み物が欲しくなります。ってスナック類大方そうですが、これの場合それがやや強いですね。


 ちょっと思うことがあったのですが、批評って自分の感性に自信がないと書けませんね。このカテゴリで書いてることは、自分では感想でもいいと思ってますが、それでも批評らしくありたいと思っています。というのも、見ている人がいるかどうかは置いといて、一応公開しているものなので、読み手の考える余地があるべきだと考えるからです。逆を言えば、批評というのは読み手が対象を判断する材料となるものであるべき、ということです。辞書で語義を引けば「事物の善悪・優劣・是非などについて考え、評価すること。(大辞林/三省堂)」となります。ところがこうした「善悪・優劣・是非」といった視点は誰にとっても共通したものではありません。まー、当然ですね。で、すなわち人それぞれにそれぞれの批評結果があると言えます。でもそれって、自分の中で持っている時点では感想と変わらないですよね。つまり感想あっての批評です。では感想と批評、どこが違うのか。それは、他人の視点と交差するというところだろう、と思うわけです。小学生の頃書いた読書感想文とか、感想を通り越して自分を見つめなおすところまで行っちゃってますね。そういうのが感想なんですね。言わば自分の内面に向けたもの。批評はその逆、外面に向かって発信するものです。自分の中で完結してるなら客観性なんていらないですし。多くの意見の中で俺の考えはこうだ、で、お前はどう考える? みたいなところがあるのが批評だと思うんですね。後の問いかけは必ずしも必要なものではありませんが。
 初めに戻って、自分の感性に対する自信ってことですが、批評っていうのは専門性も必要になってきますね。その辺どうなんでしょ。完成度とか知識のある人が何か言えば太刀打ちできないですし。そんなもんひっくり返す、ってくらい力のあるものを書けることなんてそうそうありません。だから感性に自信がないと、って言いたいわけではないです。多くの人は専門性なんかとは無縁のところにありますから。たとえば映画について、このカメラワークが・・・とか語られても素人には分からないですし、観る人の多くはそんな素人で構成されています。素人に毛が生えただけのような人が専門性を持ち出してもイタイだけです。
 だっだだだー。時間切れのようです。モティベーテョンガトゥドゥキマテェンorz この辺でお暇!
 ああ尻切れ。